2015年3月18日水曜日

八月の犬は二度吠える

久しぶりに読みごたえのある本を読んだ。


舞台は京都。暗号名は「八月の犬 」。

それは、京都の夏を彩る風物詩に悪戯を仕掛けようとした学生たちの物語だ。

八月の犬は二度吠える (講談社文庫)八月の犬は二度吠える (講談社文庫)
鴻上 尚史

講談社 2014-07-15
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京都には思い出がある。


現役、浪人時代とも京都の大学を受験した。冷やかし半分の軽い気持ちで受けた現役の時、キャンパスで配られていた大学新聞の一面にはボブ・ディランの「風に吹かれて」が載っていた。

・・・

How many roads must a man walk down

どれだけたくさんの道を歩き回れば

Before you call him a man?

人は一人前だと呼ばれるようになるのだろう

Yes, 'n' how many seas must a white dove sail

どれだけ多くの海を越えていけば

Before she sleeps in the sand?

白い鳩は砂浜で羽根を休めることができるのだろう?

Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly

どれだけ大砲の弾が撃たれれば

Before they're forever banned?

もう二度と撃たれないように禁止されることになるのだろう?

The answer, my friend, is blowin' in the wind

その答えは、友よ、風に吹かれている

The answer is blowin' in the wind

その答えは風の中に舞っている

・・・

高校では生徒会に所属していたこともあって、ボブ・ディランのその歌詞と紙面に躍る自由だとか革命だとかの声にぼくはいっぺんに魅了されてしまった。

それで、冷やかしのはずが浪人時には本命の大学になった。結局は、同じく浪人していた友人たちと遊び回っているうちに1年はあっという間に経ち、そして本命の門はあまりに高く、受験だけはしたもののぼくは上京して早稲田に入ることになる。

しかし、ちょうど学費値上げ反対闘争が巻き起こっていた早稲田でその後学生運動にのめりこんでいったかというとそんなことはまったくなく、むしろシュプレヒコールを上げる人々を横目に見ながら日々音楽に興じる学生時代となったのだった。

それでも、今も「風に吹かれて」を聞くたび思い出すのはあのときの大学新聞の紙面だし、そのたびにふわっと甦ってくるのは、あのときのキャンパスの風の匂いだ。

*

主人公の山室もまた、そんな革命への熱狂に、いや「熱狂したいという熱狂的な思い」を抱え、それへの渇望に密かに身を焦がす青年だった。

京都・百万遍のとある予備校の寮に入った山室は、そこで何人かの仲間たちと親しくなる。

いつも人の真ん中にいて快活に微笑んでいる長崎、医学部を志望して三浪目の吉村さん、オヤジ臭い苦学生の関口。そして後から仲間に加わる伊賀と久保田。

彼らは受験勉強の傍ら、若者らしいハチャメチャな事件を次々と引き起こしていく。「パイルドライバー脳天かち割り事件」「野鳥の会とセックススナイパー事件」「加茂川ロケット花火事件」…。


山室の目には、それらの出来事が一種の「解放区」のイメージを形作っていく。そんなある日彼は思いつく。もっとスケールの大きな解放区を現出するためのひとつの壮大な悪戯を。それは、京都の夏の風物詩である大文字焼きを「犬」文字焼きに変えてしまうという計画だった。

それは他愛のない、学生時代にありがちな悪ふざけだったが、しだいに彼らは本気になる。そして、戌(いぬ)年の夏に向け2年越しの綿密な計画がスタートする。

しかし、長崎の恋人をめぐって仲間うちに密かな葛藤が生まれ、やがて破局的な事件へとつながっていく。奇しくもそれは「八月の犬」計画が実行されるはずの日だった。計画は未遂に終わり、強固に見えた仲間たちの繋がりもバラバラになってしまう。


それから24年。

長崎からの手紙を受け取った山室は、複雑な思いを抱きながら、京都駅のホームに降り立つ。ホテルでの待ち合わせのはずが、携帯電話が鳴り、会合場所は病院へと変更される。

病室を訪れた山室が見たのは、癌であと半年の命を宣告された長崎の姿だった。

窓から大文字山の見える病室で、長崎は言う。

もう一度、『八月の犬』をやりたいんだ



学生時代の夢を実現する。そこにはロマンティックなニュアンスが伴う。

だが、学生時代には無邪気に考えられた悪戯も、40代の大人が取り組むとなるとそうはいかない。バラバラになった仲間たちには、それぞれに地位があり、家庭があり、そして固有の事情があった。そこから生まれてくるさまざまな現実の障壁が彼らの行く手を阻む(かつて仲間を引き裂く原因となったあの事件もまた濃い影を落としていた)。


24年がたって、多くの者が腹のまわりに贅肉を蓄え、ある者は病に身体を蝕まれ、あるいは心を蝕まれ、すべてが変わってしまった彼らの中で、しかし今も生きているのはかつてと同じ悩みを抱えた「自分」だ。

「自分」という牢獄の壁は高くなり、お互いのほんとうの顔すらも隠してしまう。学生時代にはあっけなく超えられた(と思っていただけかも知れないが)壁はとてつもなく高く、彼らは容易に手を取り合って歩き出すことができない。


青春時代は痛く、苦いものだが、大人の世界もまた辛く、厳しい。むしろ年をとった分だけ苦しみはより現実的な姿を伴って訪れてくる。それでも、一度は挫折した仲間たちの関係が、やがてひとすじの光のように過去と現在を貫き、物語は大団円を迎える。



友情とはそもそも何だろう。

それはひどく青臭い議論だが、この本を閉じたとき、学生時代に抱いたそんな問いがふたたび頭をかすめる。

何の利害もなく、ただ一度同じ時を過ごした仲間たちが、ただそのことによってのみふたたび集い、助け合う。そのことの奇跡をあらためて思わずにはいられない。

出会いはどこまでも偶発的なできごとであって、そこに生まれる物語は一回かぎりのものでしかないが、友情はそれ故にぼくたちにとってかけがえのない大切なものとなるのかも知れない。

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この本の著者である鴻上尚史は、80年代から90年代にかけて劇団「第三舞台」の主宰兼演出家として、野田秀樹の「夢の遊眠社」と並んで一斉を風靡したので、その頃をご記憶の人も多いだろう。

早稲田の演劇研究会から生まれた第三舞台は、しばらくの間はキャンパス内でテント公演をしていたが、ぼくが入学した頃から大学を離れ、一般の劇場で公演するようになっていった。それでもぼくの在学中には、代表作「朝日のような夕日をつれて」の立看板がまだキャンパス内のあちこちに立っていたように思う。

ぼくが第三舞台のファンになったのは社会人になってからだったが、すでにものすごい人気になっていて、公演のチケットなんてまったく手に入らなかった。大学時代に見ておけばよかったと何度も悔やんだものだった。