去年を待ちながら (創元推理文庫)
フィリップ・K・ディック 寺地 五一
東京創元社 1989-04-21
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フィリップ.K.ディックと言えば映画「ブレードランナー」の原作となった「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」が有名ですね。数あるディックの作品の中で最高傑作は、この「アンドロイド」と「流れよわが涙と警官は言った」、それに「去年を待ちながら」の3作と言われています。
今回はその中から、あまりにも有名な「アンドロイド」は避けて、私のもっとも好きな「去年を待ちながら」(原題「Now Wait For Last Year」)を紹介することにします。
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アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
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流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)
フィリップ・K・ディック 友枝 康子
早川書房 1989-02
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不確かな現実
ディックの作品と言えば、「現実と虚構の区別がつかなくなる」という状況設定が好んで多用されることで知られています。「アンドロイド」では、逃亡したアンドロイドを追う賞金ハンターであるはずの自分自身が、もしかしたらアンドロイドかもしれないという苦悩が最大のモチーフになっています。また、ディックの短編をもとに制作された映画「トータル・リコール」では、シュワちゃんが火星を舞台に大活躍を繰り広げるのですが、これが、シミュレーションによる火星旅行を売りものにする旅行代理店の装置の中で起こっていることなのか、現実の出来事なのかがわからなくなってしまいます(映画の中ではその疑問は解決されたことになっていますが、あえて不明にしたままでそのあいまいさを楽しむのが正しいディックの読み方と言えるでしょう。何が正しいかは、もちろん簡単には言えませんが)。
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「去年を待ちながら」もそうしたディック的世界を十分に楽しめる作品になっています。時は近未来。地球は二大宇宙文明が繰り広げる泥沼の星間戦争に巻き込まれています。ところがどうも地球は間違った相手と同盟を結んでしまったようなのです。体よく地球を属国にしようとねらっている同盟国の首相フレネクシーに対し、国連事務総長モリナーリは、水際での必死の駆け引きを余儀なくされています。
そして物語の主人公は、モリナーリの主治医を務めることになった人工臓器移植医エリック(この「人工臓器移植医」という設定がすでに「現実と非現実」を示唆していますね)。彼の妻はある大企業でアンティーク収集担当重役をつとめるキャシー。この「アンティーク収集担当重役」という訳のわからない職業について少し説明しましょう。この時代の地球では、子供時代をすごした町を当時の雰囲気そのままに復元したベビーランドを、火星に建設することが大金持ちの間で流行しています。キャシーはその復元された町をよりいっそう本物らしく(!)するために、上司のためにさまざまな小物を収集する役割なのです(これもやはり「現実と非現実」ですね)。
物語は、同盟国であるはずのリリスター星がひそかにばらまいた禁断のドラッグ「JJ180」をめぐって進行していきます。リリスター星人の罠にはまってJJ180の中毒患者にされてしまったキャシー。キャシーとのいさかいの中で、エリックもまただまされてそれを服用してしまいます。ところで、JJ180には服用すると時間の中を自由に移動できるという効果があったのです。かくして時間と空間が交錯しはじめます・・・。
JJ180を服用することでジャンプした未来や過去は現実なのでしょうか。それともドラッグがもたらす単なる幻覚にすぎないのでしょうか。たしかにドラッグにそんな効果があるなんてこと自体眉唾ものなのですが。しかしそんな疑問をよそにスピーディに進行していく物語の中で、やがてJJ180は幾通りもの未来を生み出してしまいます。それらのどれが現在とつながっているのか。そもそも現在とつながった未来はその中にあるのか。すべてが不確かになっていきます・・・。
絶望のはてに
ところで、前回紹介した「暗殺者」と異なり、この小説にはかっこいいヒーローは誰ひとり登場しません(これは「アンドロイド」でもそうでした。映画とは異なり、主人公デッカードは本物の羊を買いたいと思っているだけの実に冴えない男なのです)。エリックは性的にも家庭的にも社会的にも妻にさっぱり頭があがらないし、彼女とのいさかいの毎日に疲れはてています。国連事務総長のモリナーリにしても自殺願望を抱いた、英雄とは程遠い人物です。エリックとはじめて会ったモリナーリはズボンの前をだらしなく開けたままの姿でした。
リリスター星との同盟による戦争にしてからが、戦況ははかばかしくありません。登場人物の誰もがいつ終わるともしれない負け戦に疲れ、絶望し、金持ちはベビーランドの建設に逃避しているというわけです。
全編を憂鬱と倦怠と疲労感に押し包まれたこの本は、それでいて私の心を癒やしてくれる効果を持っているようです。村上春樹は「ダンス・ダンス・ダンス」の中でこう言っています。
フォークナーとフィリップ.K.ディックの小説は神経がある種のくたびれかたをしているときに読むと、とてもうまく理解できる。僕はそういう時期がくるとかならずどちらかの小説を読むことにしている
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村上 春樹
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時間と空間が交錯しすべてが不確かになっていく中で、逆にはっきりしてくるのは同盟国リリスターの地球侵攻でした。しかしそれを背景に急展開する物語の焦点は、ある一点に絞り込まれていきます。
それは世界がどうなろうが私たちについて回る「現実をどう引き受け、どう生きるか」という問題です。
JJ180の作用で未来を訪れたエリックは、キャシーがJJ180の中毒の結果不治の病にかかって精神病院に入院しているのを知ります。元の時代に戻ったエリックは未来のエリックの助言にしたがってキャシーと離婚するのですが、一方でうしろめさを振り切ることができません。そんなエリックに、自律運動タクシーは「わたしならそばにいてやりますね」と言います。
人生はさまざまな様相の現実から成っていて、それを変えることはできないからです。妻を捨てるということは、こうした現実に耐えられないって言っているのと同じなんです。自分だけもっと楽な別の条件がなければ生きて行けないって言うのと等しいことなんです。
安っぽいヒューマニズムではありません。キャシーとの終わる見込みのない絶望的ないさかい、治る見込みのない彼女の病気、勝つ見込みのない戦争、そして現在とのつながりの確証を見いだせない未来へのタイムトリップ。それらのはてに(自律運動タクシーの口?を借りて)たどりついた結論であるだけに、この言葉には重みがあります。それが、状況は違えど私たちが生きる生そのものであるからです。
この結末を読みたいばかりに私は何度もこの本を手にとるのかもしれません。