2004年10月30日土曜日

電子城-背中だけの騎士たち-(劇団唐組)

まもなくドラゴンクエストⅧが発売されますね。また眠れない夜がはじまりそうです(笑)。

私のドラクエ歴は例にもれず、名作ぞろいのドラクエ史上でも屈指の名作「ドラゴンクエストIII」からはじまるのですが、今回はその「ドラクエⅢ」にまつわる一本の芝居を紹介したいと思います(このコーナーのテーマは「おすすめ入門書」なのですが、この芝居のシナリオは残念ながら出版されていません。そういう意味では「書」ではありませんが、今回は番外篇ということでお許しください)。


まずは劇団唐組について。

唐組は、かつてアングラ演劇の世界で寺山修司と並び称された状況劇場の唐十郎が、状況劇場解散後の1987年に旗揚げした劇団です。

状況劇場と言えば新宿花園神社の赤テント公演で有名で、佐野史郎や根津甚八、石橋蓮司、緑魔子らが出身俳優として知られています。ちなみに看板女優だった李麗仙は唐の元妻で、俳優の大鶴義丹は彼ら二人の息子です。

さて、唐組の旗揚げには私の親友も参加していました。彼は大学中退のまま唐組に入ったのですが、それから17年を経て、今では押しも押されもせぬ看板俳優(唐に次ぐNo.2)になっています。

そんな縁もあって、独身時代は唐組の芝居を毎年春秋の公演ごとに見ていたのですが、その中でもいちばん印象に残っているのがドラクエⅢを下敷きに書き上げられた「電子城-背中だけの騎士たち-」なのです。


「電子城」のご紹介をする前に、アングラ演劇についてよく知らない人のために、その雰囲気をすこしお伝えすることにしましょう。

夕暮れ、公演場所として唐が愛用する目黒不動尊や新宿花園神社の境内を入っていくと、木立の暗がりの中にぬっという感じで赤黒っぽい巨大なテントが立っています。唐は、状況劇場のトレードマークだった赤テントを唐組で復活させたのです。周りを見回すと、何やら怪しい風体の男や女があちこちに立っていて、思い思いに公演がはじまるのを待っているようです。

しばらくして開場時間となるわけですが、そこはテント芝居のこと、シートにゆったり背をもたせかけて観劇するなんていうぜいたくはありえません。虫のはい出す隙間もないくらいびっちりと詰めこまれたテントの中で、あぐらをかきながらビニール袋に入れた靴を抱え込むように見るというのがせいぜいです。

やがてテント内が闇に落ち、音の割れたスピーカーから哀愁を帯びた音楽が流れはじめます。そして薄暗い明かりの中に浮かび上がるのは公衆便所(!)。黄ばんだ小便器がいきなり舞台の上に並んでいます。

こんな風ですから、決して秩序だったストーリーや美しい舞台衣装やかっこいいスター俳優などを期待してはいけません。それどころか、俳優がいきなりバケツの水を頭からかぶったり、水槽の中から飛び出してきた別の俳優が手足を振り回して暴れまわるので、最前列などに座っているとずぶ濡れになる危険と隣りあわせです。一応そのために最前列には何やらビニールシートが用意してあって、水が飛んでくるなと思った瞬間にそいつをさっとかぶるようにはなっているのですが。いずれにせよスーツなんかで見に行くのはもっての他ということだけは確かです。飛んで来るのは水だけじゃありませんから。

こんな紹介じゃあかえってテント芝居から足が遠のいてしまいそうですね。こういう芝居の観客はどうせあやしげな男ばっかりなんだろうなとお思いでしょうが、これがそうでもないんですね。そうでもないどころか、半分くらいは女性なのが不思議だったりします。


さて、テント芝居の雰囲気がすこしわかっていただけたところで、いいかげんに「電子城」のご紹介に移りましょう。この作品が当時大ヒットしたファミコンソフト「ドラクエⅢ」をベースとしていることはすでに述べました。

唐版ドラクエの主人公は、唐自ら扮する高校教師田口です。彼はゲームの中にはいっていったまま帰ってこないかつての教え子/遊び人を探して、一度は中断した自分のゲームを再開します。彼のキャラクターネームはタグンテ。

しかしそこは唐十郎の世界、登場するのは、どれもこれも薄汚れた負け犬ばかりです。田口/タグンテの仲間となるのは、僧侶の荒川を除けば、金のない商人、弦のないバイオリンを抱えた楽士といった具合で、とてもじゃありませんが、本物のドラゴンクエストのようにかっこよくはいきません。そんな風ですから、SM城ソドム(!)を目指す田口/タグンテ一行の旅は、やがて予想に違わず迷宮にはいりこんでいきます。幻想とも妄想ともつかない迷宮をさまよううち、教え子を探すという当初の目的はどこへやら、いつまでたっても目的地にたどりつくことができないまま田口/タグンテの旅は終わります。

終幕、敗れ去った田口の薄汚れた4畳半の部屋で、眠っている彼の枕元に表れた母はこうささやきます。

「起きてください。お城に行く時間です」と。

田口/タグンテが布団をはねのけ跳び起きた瞬間、ちっぽけな部屋が壊れ、テントの背幕がさっと開かれます。流れ込む冷たい夜気。そして夜空を背景に、遙か向こうに見える王の城。

それに向かって、田口/タグンテたちの一行はふたたび歩きはじめます。それは新しいゲームのはじまりです(ドラゴンクエストの世界では、ゲームをはじめるものはまず母親に起こされ、そのあと城に行って王様に会わなくてはなりません)。


テントを解き放ち、外の現実をいわば借景のように芝居の中に取り込んでみせるこの手法は、実は状況劇場以来の唐お得意の手法です。ファンの間ではもはや一種のお約束となっている感もあります。しかしそれがワンパターンのようでいて、単に客を驚かすためのマンネリに堕してしまわないのは、それが借景の手法であるとともに、テントの内側の演劇世界を外の現実社会へ向かって開いていくための方法論でもあるからです。おそらくそこにこそ唐のメッセージがあります。

芝居は単にテントの中で完結する「お話」ではない。唐の芝居を見るものは、「ああおもしろかったね」とテントから出て現実世界に戻るのではありません。唐の芝居は終幕で現実に接続され、そのことによって私たちはもはや唐の世界から抜け出す術を失うのです。テントが開かれた瞬間そこももはや唐の世界なのですから。いやむしろ、猥雑で混乱し、肉体が跳躍する唐の演劇世界こそが最初から現実世界そのものだったのだとも言えます。

そう、彼らはまた敗れ去るかもしれません。城に向かいながらも、また王に会わず、その道を逸れてしまうかもしれません。けれども、結末のないこの旅の中でひとつだけ確かなことは、彼らがその闘いをおそらく永遠に闘いつづけるだろうということです。何度も敗れ、何度も道を誤りながら、それでもまた朝が来て私たちは王に会いに出かけていくでしょう。ちょうど星間戦争のはざまで、望みのない自分の人生との闘いをつづける「去年を待ちながら」のエリックのように。

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もうずいぶん唐の芝居と親友の演技を見ていません。ひさしぶりにまたあのテントの中にもぐりこんでみたいと思います。一度はいったら二度とそこからは逃げられないと知りながら。