クラインの壷 (新潮文庫)
岡嶋 二人
新潮社 1993-01
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ゲームの世界
メビウスの環>をご存知ですか?それは一本のテープの端と端を一回だけねじって貼り合わせることで作れます。メビウスの環の上を歩く者は、一周して帰って来たとき、いつのまにか自分が出発点の裏側にいることに気づきます。メビウスの輪の世界は、表が裏に、裏が表にいつのまにかすり替わってしまう世界なのです。
それを三次元に置き換えるとクラインの壷になります。メビウスの環の例にならえば、一本のチューブの端と端を一回だけねじってつなぎあわせることでクラインの壷ができます(実際にはクラインの壷を私たちの住む三次元世界で視覚化することはできません)。その表面を歩く人は、気がついたらいつのまにか壷の裏側にいた、という現象に出くわすことになるでしょう。
岡嶋二人の作品「クラインの壷」は、まさにそうした状況を描いた作品です。
主人公はゲーム作家をめざす上杉。彼はある出版社が募集したゲームブックのコンテストに応募します。残念ながら彼のシナリオは、彼の勘違いで規定枚数を大幅に超えていたため採用されなかったのですが、ひょんなことからあるゲームソフト会社の目にとまります。物語は、彼のそのシナリオをもとに開発されたシミュレーションゲーム「バーチャルブレイン」をめぐって進行します。
そのゲームはいわゆるテレビゲームではありませんでした。プレイする者は部屋ひとつをまるごと占有する巨大なシミュレーションマシンの中にはいります。そこで裸になってある液体の詰まったカプセルの中に身を横たえるのです。ふたが閉じると、ゲームがはじまります。
それは素晴らしい出来でした。それは五感のすべてをカバーしたバーチャル・リアリティゲームでした。プレイヤーを包み込む液体はストーリーの進行に従ってさまざまな刺激を彼(女)の皮膚に伝え、逆に彼(女)の動きはその液体を通じてマシンに伝えられゲームの中の彼(女)の動きに反映されます。それは現実と区別がつかない超リアルなシミュレーションゲームでした。
上杉はゲームを開発した会社からテストプレイヤーの役割を依頼されます。行ってみると、そこにはもう一人のテストプレイヤー梨紗がいました。
毎日研究所に通い、テストを繰り返す上杉と梨紗。やがてお決まりとなる帰り道のささやかなデート。ふたりの関係が少しづつ緊密になりかけていたある日、ゲーム機から出たばかりの上杉のもとに義兄が交通事故で病院に運ばれたという電話がはいります。それは嘘の電話だったことが後でわかるのですが、それ以来現実の世界のあちこちに亀裂がはいりはじめます。
突然休みをとった梨紗。翌日いつものように現れた梨紗は、しかしどことなく前の梨紗とは違っているようでした。そして彼らを運ぶいつものシャトルバスの窓枠にあったはずの傷跡。消えた梨紗のピアス。ゲームの中から聞こえてくる不思議な声。「引き返すんだ。コントロールできるうちに」。ストーリーは急速にミステリーの色彩を帯びはじめます。
何かが微妙におかしくなっているのです。そういえば、ゲームそのものだって不思議でした。そもそもこんなゲームを開発したところで、どう商品化するのでしょうか。これほど巨大なマシンを設置できる場所は限られていますし、一度に一人しかプレイできない構造から見ても、どう採算化しようというのでしょうか。
巨大な陰謀がどうやら背後にあるようでした。しかし気がついたときにはすでに遅かったのです。どんでんがえしとともに事件はいったん解決します。すべての謎が解かれ、すべてがもとの日常に戻ります。梨紗とともに。しかしもう遅すぎたのでした。上杉はすでに後戻りのできないクラインの壷の中にはいりこんでいたのです。
脳の支配
去年を待ちながら (創元推理文庫)
フィリップ・K・ディック 寺地 五一
東京創元社 1989-04-21
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現実と虚構との区別がつかなくなっていくというストーリー建ては、フィリップ・K・ディックお得意の世界とも通じています。ただ、SFの舞台設定の上に構築されたディックの作品は、その現実感の希薄さによって眩暈のような陶酔感を読む者にもたらすのですが、岡嶋二人の「クラインの壷」では舞台設定がリアルな分より具体的な恐怖につながります。
現実か虚構か。それは永遠に解決不能な謎です。何故なら私たちはみな脳がつくりだす虚構の中を生きているからです。
解剖学者の養老孟司氏は「唯脳論」(青土社、1989年)の中でこう述べています。
現代とは、要するに脳の時代である。情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。脳は、典型的な情報器官だからである。
都会とは、要するに脳の産物である。あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり脳の産物に他ならない。都会では、人工物以外のものを見かけることは困難である。 そこでは自然、すなわち植物や地面ですら、人為的に、すなわち脳によって配置される。われわれの遠い祖先は、自然の洞窟に住んでいた。まさしく「自然の中に」住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む。
唯脳論 (ちくま学芸文庫) 養老 孟司
筑摩書房 1998-10
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考えてみれば、シミュレーションとはもともと脳の機能でした。もっとも基本的な脳のシミュレーション機能は「夢」でしょう。脳はそれをやがて外部化し、小説や映画に、そしてバーチャルリアリティへと進化させてきたのでした。
シミュレーションが現実と区別できないところまで来たとき、私たちの逃げ場はどこにあるのでしょうか。私たちは脳化=社会から逃れることができるのでしょうか。そのヒントはやはり「唯脳論」の中にあります。
養老孟司氏によれば、脳化=社会における唯一の禁忌(タブー)とは「身体」です。すべてを統御し、支配しようとする脳の作用は、「かならず自らの身体性によって裏切られるから」
です。「脳はその発生母体である身体によって、最後にかならず滅ぼされる。それが死である。」
唐十郎の芝居が、閉じられた赤テントの中であれほどまでに身体性を強調せざるを得ないのは、それゆえなのでしょうか。彼(女)らは舞台のうえで走り、飛び上がり、機関銃のように唾を飛ばしてしゃべり、水をかぶり、乳房を露出します。黄ばんだ小便器を舞台に並べ、乞食のような衣装をまとい、弦の切れたバイオリンを振り回します。
そうまでして身体を強調しなければ、彼らはテントの中に充満した脳の想像力から逃れられなかったのかもしれません。その想像力とは、他でもない唐十郎自身のそれ以外ではありえなかったのですが。そして終幕でテントが開かれ夜気が流れ込んできたとき、はじめて私たちは今眼前で起こっていたことが脳の中のできごとだったことを知るのです。それと同時にそれが現実(だと思っているもの)の中にまで浸透していることに、かすかながら気づくのです。
岡嶋二人のこと
岡嶋二人は、実は男性の二人組によるミステリー作家です。ニール・サイモンの戯曲に「おかしな二人」という作品があるのですが、それをもじってつけたのだそうです。残念ながら、岡嶋二人氏は「クラインの壷」を最後に解散してしまいました。実際は「クラインの壷」執筆時点で二人の決裂は決定的で、この作品はほぼ井上夢人氏一人によって構想され、執筆されたようです。
岡嶋二人のその他の作品としては、「そして扉は閉ざされた」「どんなに上手に隠れても」などがおすすめです。都会的なセンスによる本格ミステリーの醍醐味を彼らの作品は味わわせてくれます。
そして扉が閉ざされた (講談社文庫)
岡嶋 二人
講談社 1990-12-04
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どんなに上手に隠れても (講談社文庫)
岡嶋 二人
講談社 1993-07-06
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解散後、井上夢人氏はミステリーというよりもホラーに近い作品群を発表しています。「クラインの壷」がそうであったように、氏の作品はリアルな日常を描きながら、いくらかのSF的設定を持ち込むことでそこに亀裂を走らせ、恐怖感を醸しだすものが多いようです。「ダレカガナカニイル」がおすすめです。
一方の田奈(徳山)醇一氏の方は、解散以来まだ作品を発表してはいないようです。岡嶋二人の持ち味のうち、本格ミステリーの要素を支えていた田奈氏の新作にもぜひ出会いたいところですが、実際の執筆を行っていた井上氏と別れた今、それはなかなか難しいことであるようです。
ダレカガナカニイル… (講談社文庫)
井上 夢人 大森 望
講談社 2004-02-13
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二人で書く
ところで私はどうも男性の二人組がつくる作品に惹かれるようです。サイモンとガーファンクル、ドゥルーズとガタリ、そして岡嶋二人。
ふたつの異なる個性がぶつかりあうところには緊張感とダイナミズムが生まれます。一個の完成された作品でありながら、ひとつの世界観の内部で完結してしまわず、常に外界に対して開かれているかのような魅力がそこから生まれてきます。その不安定さが、やがてコンビを宿命的な解散に導くのでしょうけれど。
それにしても、どのようにして複数で書いたのか。岡嶋二人のその辺の事情を伝えてくれる本も出ています。その名も「おかしな二人--岡嶋二人盛衰記--」。
コンビのかたわれである井上夢人氏が解散後に書いた本だけにちょっと偏った感もなきにしもあらずですが、その辺を割り引いて読めばコンビによる執筆活動の随所にみなぎる緊張感が伝わってくるのではないかと思います。「クラインの壷」をはじめとした岡嶋二人の作品を読んで関心を持たれた方はぜひどうぞ(ネタバレになるので先に読むことはおすすめしません)。
おかしな二人 (講談社文庫)
井上 夢人 大沢 在昌
講談社 1996-12-16
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