本当にそうだ。重松さんの作品の登場人物は誰も悪くない。みんな普通の人で、それぞれが問題を抱えている。
そして問題は解決しない。問題を抱えて生きて来て、新たな問題に直面し、なんとか乗り越えるも、また新たな問題に向かって生きてゆく。
夢と現実。そううまくはいかない人生。
それらを肯定する優しさが重松作品には詰まっている。
嘉門達夫は「口笛吹いて」(重松清、文春文庫)のあとがきでこう書いている。
ぼくは、この「そして問題は解決しない」というくだりが好きだ。
口笛吹いて (文春文庫)
重松 清
文藝春秋 2004-03-12
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念のために言っておくと、「解決しない」ことが好きだと言っている訳ではない。そうではなく、「問題は解決しない」そのことを認めている、その潔さが好きなのだ。
「問題は必ず解決する」そう信じて生き抜くのは見上げた根性かも知れないが、現実を見据えているとは言えないし、したがってどこか夢にしがみついている点において潔くない。
それはユートピア思想に他ならない。問題が必ず解決すると言うなら、いつかどこかに問題というもののまったくない世界が存在することになるからだ。
彼らは気づいていない。ぼくたちは問題があるから、そこに生きがいを見いだすのだということに。
だから問題のない世界は、実はユートピアではないのだということに。
それは、少なくない数の知識人が楽園と信じた共産主義社会が実際には楽園などではなかったことと、まったく同じことだ。
しかし幸いなことに、この世から問題がなくなることはなく、だからぼくたちは今日もどこかに生きがいを見いだせるのだ。